@ ウィーン市内観光@リンク内側ルート  
     
A ウィーン市内観光Aリンク周辺ルート  
     
B ベルヴェデーレ宮殿とシェーンブルン宮殿  
     
C シェーンブルン宮殿オランジェリーコンサート  
     
D ウィーン国立歌劇場でのオペラ「フィデリオ」鑑賞  
     
E 一般情報  
     
  旅行時期:2009年10月22日〜10月25日
為替レート:1ユーロ=132円
 
@ ウィーン市内観光@リンク内側ルート
  私はウィーン滞在のホテルを選ぶ基準として、「マリオット系列のホテル、値段の安さ、シェーンブルン宮殿に近い場所」にした。コートヤード・ウィーン・シェーンブルン(写真1)はこの基準に合ういいホテルだった。1泊のルームチャージは75ユーロ(9900円、税・サ込、食事なし)。ただし、21日前払い、キャンセル不可。1人あたり5000円程度でウィーンに滞在できるのはありがたい。我々夫婦はここで3泊した。値段が安いのであまり期待しなかったのであるが、予想以上に綺麗で広い客室(写真2)に満足する。ソファーやデスク(写真3)周りが広くリビングルームに近い感じがするのもいい。朝食(15ユーロ、1980円)はビュッフェで料理(写真4写真5)の品数も多い。ホテルの朝食としては中身を考えれば妥当な値段だと思う。

ウィーン市内の見所は満載で3日間滞在しても回りきれない。とりあえず、ガイドブック(地球の歩き方)のモデルルートに従って歩いてみる。最初は国立オペラ座からシュテファン寺院、ペーター教会、王宮、アルベルティーナに至るリンク内側のルート。次に、美術史・自然史博物館から国会議事堂、ブルク劇場、市庁舎、ウィーン大学、ヴォティーフ教会に至るリンク周辺のルート。最後に、市立公園を中心としたルート。時間はかかるが、いずれも徒歩で回れる距離なので観光には便利である。ただし、体力・気力・脚力勝負!

では、まずはリンク内側ルートへ

朝日に輝くウィーン国立オペラ座(写真6)の前に立つ。久しぶりに天気が良くなり気分が盛り上がってくる。このオペラ座は1869年建造で、日本で言えば明治維新の頃である。第2次世界大戦で爆撃を受けたが、1955年、再建・再開された。ここを起点にリンク内側のルートをめぐる。

オペラ座の裏側にホテル「ザッハー」(写真7)がある。ケーキのザッハートルテの名で世界中に知られているホテルで、1876年創業。オペラ座と共にウィーンの歴史を刻む。「おのぼりさん」の典型であるが、午前中の空いている内に店内(写真8)に入り、メランジェ(4.2ユーロ)、ザッハートルテ(4.9ユーロ)、アインシュペナー(4.2ユーロ)を注文(写真9)する。合計13.3ユーロ、1756円。確かにうまい。ウィーンのいにしえをしのびながら、妻と一緒に優雅なティータイムを取る。

ザッハーホテル横から歩行者天国ケルントナー通りがシュテンファン寺院まで続く。ウイーンきっての繁華街でありいつも人通りが絶えない。ケルントナー通りは約500mにわたって賑やかなショッピング街となっており、道路の中央にオープンカフェも沢山作られている。遊び一色の雰囲気!見知らぬ外国の街のぶらぶら歩きは実に楽しい。

ウィーンのシンボル「シュテファン寺院」(写真10)は12世紀半ばからロマネスク様式の教会として建築され、14〜16世紀頃に、現在のような後期ゴシック様式に改築された。南塔の高さは137mで1359年に完成。実に見事。シュテファン寺院の内部(写真11)に入る。正面入口から主祭壇までの身廊の長さは107mもあり、巨大な内部空間をつくっている。南塔の見張り台まで上りたかったが改修工事中なのか、入り口が見つけられず断念する。

ヨーロッパ中に蔓延したペストは1678年ウィーンにも襲い、約10万人の死者を出した。そのぺスト終結を神に感謝して時の皇帝レオポルド1世はグラーベン通りに「ペスト記念柱」(写真12)を建てた。2009年春にメキシコで発生した新型インフルエンザは世界中に蔓延(パンデミック)し、何とその年の冬には我が家まで到来した。娘(23才)が感染して寝込んだのである。恐るべき感染力!もし、これが強毒性の鳥インフルエンザだったら、世界は恐怖のパニックになる。ペストは過去の話ではない。

グラーベン通りから少し入った所に緑のドーム屋根が美しい「ペーター教会」(写真13)がある。現在の建物はベルヴェデーレ宮殿を手がけたルーカス・フォン・ヒルデブラントの設計で1701〜1733年に建設。ペーター教会の内部(写真14)は実に美しく、必見の価値がある。休憩をかねて、しばらく内部の装飾やフレスコ画を見る。

グラーベンの突き当たりを左折するとコールマルクトの歩行者天国になり、しばらく歩くと王宮のミヒャエル門(写真15)になる。600年以上にわたって栄華を極めたハプスブルク家の威容が感じられる。ハプスブルク家の建築の特徴は外壁に施された彫刻にあると私は思う。ウィーンの裏道を歩いていても、普通のビルの外壁や玄関に素晴らしい彫刻が飾ってある。ウィーンの建物はパリ以上に素晴らしい。栄華を極めたハプスブルク家の王宮(銀器コレクション、皇帝の部屋、シシィ博物館)を見学した後、ヨーゼフ広場を通ってオペラ座方面にもどる。

リンク内見学の途中のランチ、ディナーとしてお勧めなのが、魚介料理のセルフレストラン「NORDSEEノルトゼー」(写真16)である。赤い魚のマークの看板が目印で、ケルントナー通りにもコールマルクト通りにもある。バゲットサンドやフィッシュ&チップスなどのテイクアウトメニューも豊富であるが、魚料理を注文(写真17写真18)して店内でゆっくり食べることをお勧めする。

 
     
A ウィーン市内観光Aリンク周辺ルート
  次はリンク周辺の見所を回る。出発はアルベルティーナの裏にある「ブルク公園」(写真19)。よく手入れされたグリーンの芝生が美しい。ブルク公園入り口近くにモーツァルト像がある。青い芝生の中にト音記号(写真20)の絵柄で花が植えてあり、その後ろにモーツァルト像がある。1756年ザルツブルクに生まれたモーツァルトはウィーンに行き大成功を収める。しかし、その生涯は苦難に満ち、1791年、35歳の若さでウィーンにて死を迎える。

ブルク公園からリンクを時計回りに少し歩くと、道路の左側に同形の美術史博物館・自然史博物館(写真21)が向き合って建っている。実に堂々とした建物で、中央にマリア・テレジアの像がある。時間がないので内部見学はパスして先を急ぐ。

リンクを挟んで美術史・自然史博物館の反対側に新王宮(写真22)がある。10月26日はオーストリアの建国記念日(第二次大戦の連合国からの解放日)で、王宮前には軍隊が詰めかけお祭りムードである。1938年、オーストリアはナチスドイツに併合され第二次世界大戦に突入。敗戦後は1945年〜1955年まで連合国4カ国(英・米・仏・ソ)による共同占領時代を迎える。10年間の苦難の占領の後、1955年、オーストリアは解放され国連にも加盟する。そして、国立オペラ座が再建され、ベートーベンの「フィデリオ」が上演された。今年(2009年)も建国記念日10月26日の前後4日間にわたり、オペラ座では「フィデリオ」が上演されていた。誠に幸運ながら10月24日(土)のチケットが手に入り我々夫婦でフィデリオを観劇することができた。

リンクが斜め右にカーブする所に突然、ギリシャ神殿?が現れる。これは国会議事堂(写真23)で民主主義発祥の地であるギリシャの古典様式が国会議事堂にふさわしいとされ1883年に完成された。英知をつかさどるアテネ女神像が光り輝く。

リンクを挟んでブルグ劇場(写真24)と市庁舎(写真25)が対面している。ブルグ劇場はネオ・バロック様式で1888年の完成、ドイツ語圏演劇界の最高峰と言われる。市庁舎は1872〜1873年に建設、中央の塔の高さは98m。市庁舎の周囲は緑豊かな公園になっており、噴水と大きな木々の背後にそびえる市庁舎は、一段と見ごたえがある。そして、市庁舎の隣がヨーロッパの名門「ウィーン大学」(写真26)である。1365年ルドルフ4世によって創立されたドイツ語圏最古の大学で、同時にドイツ語圏最多の学生数(約63000人)を誇る。

ウィーン大学の隣に白亜の「ヴォティーフ教会」(写真27)がある。1853年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は暗殺テロを受けたが無傷で生還。皇帝の弟マクシミリアン3世の呼びかけで、神の加護に感謝を込めて、1856〜1879年に建設された。リンク周辺の主な見所は一旦ヴォティーフ教会で終了する。教会前のグリーンの芝生越しに壮麗な建物(写真28)が見える。

リンク沿いの歩道は素晴らしい並木道(写真29)になっており、マロニエの紅葉を楽しみながらブルグ劇場方面へもどる。ウィーンは市内全体が公園のようで歩いているだけで幸せな気分にさせる街である。

ブルク劇場の東150mくらいの所にフェルステル宮殿(写真30)があり、その宮殿内に豪華なカフェ「ツェントラル」(写真31)がある。高いドームの天井と細い円柱が宮殿であることを物語る。平日の午後であるが、ほぼ満席。少し待ってから席に着く。疲れた体は甘いものを要求する。フルーツ・デニッシュ(写真32:2.1ユーロ)1個を妻と分け合って(奪い合って?)食べる。メランジェ(3.7ユーロ)グローサー・ブラウナー(濃いモカ+ミルクの大盛り、4.1ユーロ)合計9.9ユーロ(1307円)水は無料で出てくるのでこれはありがたい。ウィーンのカフェめぐりは実に楽しい。

最後の観光コースとして、市立公園周辺を回る。地下鉄U4でウィーン・ミッテ駅下車。用水のようなウィーン川を渡って公園に入る。1862年にウィーンではじめて市立公園としてオープン。ウィーン市民の憩いの場所となっている。緑豊かな広大な公園であり、公園内にはウィーンゆかりの音楽家達の像が建っている。

シューベルト像(写真33)の前に立つ。シューベルト(1797―1828)はウィーン生まれでオーストリアの作曲家。歌曲をはじめ管弦楽曲、室内楽、ピアノ曲などに多くの優れた作品を残し、ドイツ・ロマン派初期を代表する音楽家である。
ブルックナー像(写真34)の前に立つ。オーストリア生まれのブルックナーは、1866年、ウィーンで聴いたベートーヴェンの交響曲第9番に強い影響を受け、多数の交響曲を作る。
ヨハン・シュトラウス2世像(写真35)の前に立つ。ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)は父の音楽を引継ぎウィンナーワルツを完成させて一世を風靡した。毎度演奏される「ラデッキー行進曲」は父の作曲。

ヨハン・シュトラウス2世像のすぐ近くに「クーアサロン」(写真36)がある。このクーアサロンでは毎夜観光客向けに手軽なコンサートが開催される。曲は主にヨハン・シュトラウスとモーツアルトの作品で、ディナーとのセットプランもある。気軽に宮殿(クーアサロン)での食事と演奏会が楽しめる訳である。参考までに、コンサートのチケットはVIP席90ユーロ、A席56ユーロ、B席48ユーロ、C席39ユーロ。各席は自由席。

最後に市立公園から出て1ブロック南へ下った所にベートーベン像(写真37)がある。ここはベートーベン通りという名前も付いている。ボン生まれのベートーベン(1770〜1827)は1792年ウィーンに移り住み、貴族の庇護のもとでピアノ演奏や作曲をした。ベートーベン像からリンク周辺に沿って歩くと、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の本拠地「楽友協会」がある。ウィーンは音楽に溢れている。

 
     
B ベルヴェデーレ宮殿とシェーンブルン宮殿
  ウィーン観光として2つの宮殿「ベルヴェデーレ宮殿」と「シェーンブルン宮殿」は外せない。ウィーン滞在2日目の朝、早めにホテルを出てベルヴェデーレ宮殿観光に出かける。ベルヴェデーレとは「美しい眺め」の意味で、大きな池や庭園を前に絵のように美しい宮殿が見れるという。大いに期待する。

しかし、今日はどんよりとした黒い雲が空をおおい、時折冷たい雨も降ってくる。おまけにベルヴェデーレ宮殿上宮南側(写真38)にある大きな池の水は抜かれ工事中。何とも無残な姿をさらけ出している。ガイドブックにある「池に映る美しい宮殿」を期待したのであるが、完全に外れた。

ベルヴェデーレ宮殿(写真39)は、トルコ軍からウィーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公(1663〜1736)の夏の離宮で、オーストリア風バロック建築の代表にあげられる。外壁の装飾(写真40)も見事。ベルヴェデーレ宮殿上宮の内部は19〜20世紀オーストリア絵画を展示した美術館になっている。時間がないので内部見学はパス。
ベルヴェデーレ宮殿上宮の北側(写真41)は広い庭園になっており、緩やかに下って下宮に続く。遠くにシュテファン寺院が見える。広い庭園から見たベルヴェデーレ宮殿上宮(写真42)は美しい。広い庭園を大回りで一周する。宮殿も庭園も左右対称で、中央に大きな滝(写真43)がある。たっぷり宮殿観光をしてベルヴェデーレ宮殿(写真44)を離れようとした頃、天気が回復してきた。

ベルヴェデーレ宮殿横のプリンツ・オイゲン通りをリンク方面にのんびり歩いていく。通りに面して外壁が素晴らしい建物(写真45)が幾つも並んでいる。美術館でもないのに、名もないビルの入り口に素晴らしい彫刻(写真46)が飾られている。2人の男性が巨大なビルの重さを必死で支えている。頑張れ!また、上層階の窓枠に女性・子供・男性像が彫られているビルも多い。それらを鑑賞しながら、ウィーンの小道を歩くのも楽しい。

シェーンブルン宮殿(写真47)は16人の子供を産んだ女帝マリア・テレジアによって、今日のような美しい姿になった。シェーンブルン宮殿はウィーンで最も多くの観光客が訪れる場所で午前中の早い時間に行かないと入館待ちの長蛇の列ができる。

我々は事前に「シシイ・チケット」を購入、午前9時頃入館する。シシイ・チケットは待ち時間なしでのシェーンブルン宮殿(グランドツアー)、王宮、王宮家具博物館の入場が可能。日本語イヤホンガイド(入場料込み)を聞きながら豪華な宮殿内部を見学する。日本語での音声ガイドはうまく出来ておりフランツ・ヨーゼフ1世やエリーザベトの生前の様子が良く分かる。(注:シェーンブルン宮殿内部は写真撮影禁止)

1時間強の宮殿内部見学の後、庭園(写真48)に回る。しかし、何と言うことか、宮殿のメインの庭園が花の植え替えのため大規模に修理中で、ベルヴェデーレ宮殿の池同様、ここも無残な姿をさらけ出している。ヨーロッパの宮殿見学は花の咲き乱れる6月〜8月にしたほうがいい。

シェーンブルン宮殿の庭園の横に動物園(写真49)がある。マリア・テレジアの夫フランツ1世が1752年に創立したもので、現存する動物園としては、世界最古と言う。18世紀中旬に「世界各地から動物を連れてきて飼育する」ということは、途方もない贅沢で富と権力がないと出来ない事である。この動物園はハプスブルク家の力を示している。フランツ1世は動物園のテラスで朝食をとったと言う。

グロリエッテの丘の麓に巨大な噴水「ネプチューンの泉」(写真50)がある。17世紀初頭、皇帝マティアスが狩猟用の館の近くの森で「美しい泉(シェーナーブルンネン)」を発見したことから、シェーンブルンという名がついたという。ネプチューンの泉からグロリエッテの丘(写真51)を登っていく。天気は悪いが緑の芝生が綺麗。
肌寒い日であるが、しばらく坂道を登っていくと汗がでてくる。振り返るとシェーンブルン宮殿とウイーン市街が見える。ネプチューンの泉から15分くらいは登ってきただろうか、枯れ葉が緑の芝生の上に落ち秋の深まりを感じる。そして、やっと登頂!ここからのシェーンブルン宮殿とウイーン市街の眺めは絶景(写真52)である。この風景を見ずしてシェーンブルンを去ることなかれ!

グロリエッテ(写真53)は1775年に軍事的な記念碑として建てられた。実際に目の前に立つと、その大きさが分かる。現在、グロリエッテの中央部はカフェになっており、展望テラスもある。実は我々はここのカフェでティータイムにするつもりで登ってきたのである。グロリエッテのカフェ(写真54)は驚くほど立派、まるで宮殿内のレストランである。わざわざ来た甲斐があった。外の景色の良く見える窓側の席に座り、クロワッサン・サンド(写真55:4.9ユーロ)とメランジ(写真56:3.7ユーロ)2人分を注文する。合計12.3ユーロ、1624円。ここで1時間くらいかけてゆっくり軽食・休憩タイムをとる。

観光客の去った夕方から夜にかけてのシェーンブルン宮殿(写真57)はまた違った雰囲気がある。夜になると正面の門は閉じられ、入ろうとすると守衛?に注意されるかもしれないが、「レジデンツ」(写真58)でディナーをとる、と言えば通してくれる。そして、夜の宮殿(写真59)を見学して、食事をせずに出ればいい。そんな観光客もちらほらいる。しかし、折角、シェーンブルン宮殿に行くのであれば、宮殿内での夕食とコンサートも楽しみたいものである。

 
     
C シェーンブルン宮殿オランジェリーコンサート
  音楽の都ウィーンに来たからには演奏会に行かねば‥‥。事前に調べてみるとウィーン市内では毎日どこかのホールでコンサートをやっている。クラシックファンの我々としては嬉しい限りである。そこで、何とかチケットを手配して「シェーンブルン宮殿オランジェリーコンサート」と「国立オペラ座」のオペラ鑑賞をすることにした。

10月23日(金)の夕方、シェーンブルン宮殿に行く。ライトアップされた宮殿(写真60)は一段と美しい。今夜は少々ドレスアップして、この宮殿内のカフェ・レストラン「レジデンツ」に行きディナーをとる。予約なしで夕方6時頃カフェ・レジデンツ(写真61)に行ってみると満席に近い。少々あせったが、残りの席に案内されホットする。まわりのお客を見てみると大半が着飾っている。どうやら、ほとんどの人が今夜のコンサートに参加するようである。

飲み物とスープ、そして、ウィーンの名物料理「ヴィーナーシュニッケル(写真62):18.50ユーロ、2442円)」を注文する。メインが出てきた時にはびっくりした。並みの大きさではなく、隣の席の老夫婦もびっくり、ヨーロッパ人?にとってもビッグサイズらしい。最初はおいしかったが油こくって2人で食べても残してしまった。

シェーンブルン宮殿オランジェリーコンサートは毎夜行われる。夏のトップシーズンはともかく、秋になればそれ程込まないので、チケットは現地購入でも大丈夫だと思う。チケットの値段はユーロで、VIP席(79)A席(59)B席(52)C席(40)日本円ではVIP席(10428円)A席(7788円)B席(6864円)C席(5280円)。VIP席は最前列から2列のみ。座席は1列に16席あり縦に長い会場(写真63)なので前の方がいい。各クラスの席内は自由席。

コンサートホールの開場は20:00、開演は20:30、いい席に座るためには開場前に並ぶ必要がある。これが嫌なので我々は事前にVIP席を買いウエルカムドリンク(チケット込み)を飲みながら開場を待つ。開場後ゆっくりVIP席に行き最前列・中央の席に座る。

A席とB席に日本人ツアーの団体が座っていたが、この日本人団体がいなければ寂しいコンサートになったと想像される。(日本人で支えているシェーンブルン宮殿コンサート?)A席は3列目からなので、並んで席取りをすれば安くていい席になる。写真撮影についてチケットオフィスの人に聞いてみると、「演奏中以外ならOK」という返事だった。よって、演奏終了直後にフラッシュなしで撮影する。障害物なし!最前列中央の席の特権を大いに利用する。

コンサート前半はモーツアルトのオペラより、序曲、アリア、デュエットなどが披露(写真64)される。最前列なので歌手の表情や息ずかいまで伝わってきて、非常に臨場感がある。ソプラノが若くて綺麗で見とれてしまう。休憩時間(写真65)にはワインを片手に談笑する。これもコンサートの楽しみの1つ。後半はヨハン・シュトラウスのワルツにバレエダンサーも加わり、歌、バレエと続き、最後に定番の「ラデッキー行進曲」(写真66)で終わる。公演時間1時間30分。

 
     
D ウィーン国立歌劇場でのオペラ「フィデリオ」鑑賞
  ウィーンでのベートーベンの活躍は大きい。ベートーヴェンが住んだ「パスクアラティハウス」(写真67)に行く。大きな標識は何もないが、ウィーン大学の前のビル周辺を探せばそのうち見つかる。写真右下にある1階の入口を入り、らせん階段で上がった5階にベートーヴェンが住んでいた部屋がある。

ベートーヴェン(写真68)は1804〜1815年までこの部屋で暮らし、不朽の名作、交響曲第5番(運命)第6番(田園)第7番、オペラ「フィデリオ」、ピアノ曲「エリーゼのために」等を作曲する。部屋の中央に1821年ウィーン製のピアノ(写真69)が置かれている。部屋の窓からはウィーン大学(写真70)が良く見える。200年くらい前、ここでベートーヴェンがピアノに向かい苦しみながら作曲をしたのか‥‥、往時をしのぶ。

若い時、私はベートーヴェンの大ファンであった。「苦しみを乗り越えて歓喜へ」彼の音楽を聴いていると力が湧いてくる。この記念館の中には視聴機もあり、ベートーヴェンの代表作をヘッドフォンで聞ける。今夜のオペラ「フィデリオ」の序曲を少しだけ聴く。

10月24日(土)の夜、待望のオペラ鑑賞のためにドレスアップして国立オペラ座に行く。やはり身なりを整えると心も引き締まるものである。今夜はヨーロッパの貴族かブルジュワの仲間入りをする。オペラの開演は19:30なので、30分前にはオペラ座(写真71)に到着、少々緊張しながら中に入る。

玄関ホールは既に大勢の着飾った人達であふれている。黒いドレスを着た若い娘さん(写真72)が写真を撮ってもらっている。いい感じ‥‥。この後、同じ場所で私の妻の写真を撮る。いい感じ‥‥?まずは、自分の席の確認をするために、階段(写真73)を上がっていく。
私達の席は最上階(ガレリー)なので、どんどん階段を上がっていく。周囲はまるで王宮(写真74)である。そしてたどり着いた私達の席「最上階(ガレリー)右側ハルブミッテ最前列の26と27」。この席からのホール全体の眺め(写真75)に驚く。Wonderful, Great……。

この席のチケットを購入するために、私は事前にオペラ座の座席配置と舞台の見易さをインターネットでかなり調べた。さらに、旅行社によるチケット手配の手数料を避けるために、私は、直接オペラ座のホームページより、座席指定でチケットを購入した。チケット代金は1人70ユーロ(9240円)

ただし、チケット購入には少々苦労した。ウィーン国立オペラ座のネット予約は(シーズン前売りを除いて)公演日の1ヶ月前の午前10時から開始される。しかし、多くのオペラが前売り段階で席が埋まり、1ヶ月前には「残席わずか」という状況になる。私はフィデリオ公演1ヶ月前の夜(ウィーン時間の朝)、自宅のパソコンに張り付いてネット予約画面を開き、予約開始と同時にバルコニー最前列に残った空席2席の予約を入れた。クレジットカードの番号を入力すれば支払いも完了。予約確認メールをプリントアウトしてオペラ座に持参すれば何も問題なくチケットが受け取れる。慣れればこんなに便利で安上がりな(手数料ゼロ)方法はない。是非、お勧めである。

オペラ座の中には各階に広い空間「ホワイエ」(写真76)がある。ホワイエとはフランス語で「たまり場、団欒の場」を意味し、オペラの開演前や幕間の時間にここでワインを傾けながら談笑するのである。シンプルな内装のホワイエもあれば豪華絢爛なホワイエ(写真77)もある。やはり、人は豪華なホワイエに集まってくる。ワインやビールのおつまみも実に豊富で、各種カナッペ(写真78)、サンドイッチ、ケーキ、クッキー、チョコレート等勢揃いしている。皆さん楽しそう。人生に乾杯!

開演直前、自分の席に座る。最上階バルコニー最前列の席なので誠に眺めがいい。私の席からオーケストラ・ピットとパルケット席(平土間席:写真79)を見下ろす。フル編成のオーケストラが意外に近くに見える。続々と席につくバルコニーの人達(写真80)。そして、指揮者(シュナイダー)が登場し印象的なメロディーのフィデリオ序曲で幕が開く。演奏はウィーン国立歌劇場管弦楽団。この瞬間がたまらない。鳥肌が立つ!

ウィーン国立歌劇場管弦楽団はオペラ座の専属オーケストラで定員150名(六管編成)。毎年9月1日から翌6月30日までのシーズンに約300のオペラ・バレエ公演を行う。驚くことに毎夜演目が違う。大道具、小道具等、裏方さん達の努力は相当なものであろう。このウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーが、自主運営団体としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を組織してコンサート活動を行っている。よって、目の前の楽団は憧れの「ウィーン・フィル」である。

日本人にとって西洋のオペラは敷居が高い。ドイツ語公演で字幕はドイツ語と英語なので、事前に勉強しておかないと何をやっているか理解できない。そこで私は事前にDVD厳選コレクション「珠玉の名作オペラ」の「フィデリオ」を購入し、日本語字幕を参考にして配役とストーリーを頭に入れてから本番に臨んだ。これが大変役に立った。

幕間にジュースとカナッペ(写真81:合計16ユーロ、2112円)で休憩する。やはりホワイエでの談笑はなくてはならないもの。ドレスアップしてここに集えば非日常の自分を演出でき、王侯貴族の気分にひたれる。我々も日本からやって来たロイヤル・ファミリー?

第2幕がはじまる。英語字幕を必死で追いかけ、舞台を眺め、時折、オペラグラスで歌手の表情を見る。眠っている暇はない。そして、オーケストラの見せ場「レオノーレ序曲」が演奏され、フィナーレを迎える。特に、最後のオーケストラ、ソリスト、合唱団の掛け合いと全員合唱はベートーベンの第九のフィナーレと同じ盛り上がり。まさに、苦難を乗り越えて歓喜へ‥‥。

指揮者「小澤征爾」氏は2002年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、現在(2010年1月)もオペラの指揮を執っている。

 
     
E 一般情報
  《ウィーンの代表的オペラ劇場、コンサートホール》

◎ウィーン国立歌劇場(英語版)
http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node2/en/index.php

◎フォルクスオーパー(英語版)
http://www.volksoper.at/Content.Node2/home/index.en.php

◎ウィーン楽友協会ホール(日本語版)
http://www.musikverein.at//startseite.asp

◎ウィーン・コンツェルトハウス(英語版)
http://konzerthaus.at/home_e/

◎アン・デア・ウィーン劇場(英語版)
http://www.theater-wien.at/index.php/en/17383

                                        (2010年4月 掲載)