@ モンマルトルの丘に建つ白亜の「サクレ・クール聖堂」  
     
A 凱旋門からエッフェル搭  
     
B 音楽と舞踏の殿堂「パレ・ガルニエ(オペラ座)」  
     
C ルーブル美術館からノートルダム大聖堂  
     
D アンヴァリッドからセーヌ川クルーズ  
     
E 世界遺産「フォンテーヌブロー城」  
     
F 一般情報  
     
  旅行時期:2009年7月3日〜7月9日
為替レート:1ユーロ=132円(2009年7月上旬のレート)
 
@ モンマルトルの丘に建つ白亜の「サクレ・クール聖堂」
  「南仏プロバンスとモンサンミッシェル・ロワール古城」のツアーは最終地パリで2泊する。我々はツアー一行が帰国するのを見送って、さらに4泊延泊してパリ滞在を楽しんだ。各地を見て回る周遊型の旅行はツアーに同行し、最終日の大都市(パリ、ロンドン、ローマ等)では延泊して個人旅行を楽しむ。この延泊プランは非常に合理的な旅行形態なので、今までツアーでしか海外旅行をしたことがない人にもお勧めである。

パリの宿泊ホテルは「イビス・パリ・ベルティエ・ポルト・ド・クリシー」(写真1)パリ北部モンマルトル墓地に近い客室数700 の大型ホテルである。客室(写真2)は清潔で明るくシンプル。しかし、非常に狭い(写真3)。団体客相手のビジネスホテル仕様のホテルである。バスルーム(写真4)は綺麗でバスタブもあるので不満はないが、バスタオルのみでフェイスタオルがないのには驚いた。

このホテルはモンマルトルの丘から続く小高い場所にあり、さらに幹線道路から一歩入ったやや高い所に建っている。よって、パリ市内でありながら静かで眺めがいい。我々の部屋(409号室)からの眺め(写真5)は素晴らしい。正面にエッフェル塔が見える。ただし、反対側の客室はビルに面していて眺めが悪いのでチェックインの時、確認する必要がある。我々は初日の1晩だけ裏側の部屋で我慢し、翌日からは5泊とも眺めの良い部屋で宿泊した。宿泊料金は変わらないので遠慮せずフロントで交渉してみよう!

このホテルに6連泊して毎朝、同じ朝食メニュー(写真6)には参った。しかも、野菜は皆無である。ここはツアー指定のホテルであったが、ネットで宿泊代金を調べてみたら、1泊1室ツインルーム(2名)の室料が12500円〜13700円(7月〜8月:アップルワールド)朝食は1人7.5ユーロ(約1000円)、よって、1人8000円程度出せば1泊朝食付きで泊まれる。ルームチャージだけにして朝食は近くのカフェで済ますのもお洒落でいい。最寄の地下鉄駅「BROCHANT」まで徒歩5分程度なのでアクセスもいい。ホテル周辺の治安は良くも悪くもなく、パリの下町の雰囲気である。近くにスーパーや値段の安いフルーツショップもあり食料の買出しに便利である。

7月5日(日)、今日は天気がいいので朝8時半頃ホテルを出発し、歩いてモンマルトルの丘へ行く。ホテル前のクリシー通りからモンマルトル墓地を経由して小高い丘を登っていく。初夏と言えども朝の空気はひんやりしていて気持ちがいい。ガイドブックを片手にパリ郊外の街を歩くのは楽しいものである。妻の顔が喜びに溢れているようである。彼女曰く「ヨーロッパの街並み、人々、空気、風、みんな素敵なのよね‥‥」私曰く「悪くはないけどね‥‥。カリブ海のビーチやアジアの雑踏も捨てがたい‥‥」

モンマルトルの路地裏を歩いていたら、偶然「ラデの風車」(写真7)に出会った。ここは現在「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というレストランになっている。隣に、もう1つの風車が残っていて、ここはフランス印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)の名画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(写真8)の原風景である。モンマルトルの丘の頂上、風車の足元にあった大衆飲み屋で現地制作したもの。彼は太陽の反射を、生い茂る葉を通して描写することに熱中した。名画観賞はパリ滞在記(2) 美術編に続く。

サン・ピエール広場から見上げた「サクレ・クール聖堂」(写真9)は素晴らしい。白亜の聖堂(写真10)が初夏の青空をバックに輝いている。サクレ・クールというのは「聖なる心」という意味なので、心を清らかにしてお参りしよう。サクレ・クール聖堂の建設は1870年のパリ・コミューンの後に議会で決定され、アバディの設計のもと1876年に工事が開始され1919年に完成した。

聖堂への大階段でハープの実演(写真11)が行われていた。彼の演奏が実にうまく曲も素晴らしかったので、立ち止まって聞き惚れる。
サクレ・クール聖堂から眺めるパリ市街(写真12)も実に見事!ハープの音色とサクレ・クール聖堂、そして 、パリ市街が見事に調和し、まるで映画を見ているようである。帰りに彼のCDを1枚(15ユーロ)買う。演奏者Hugo、曲名「Kanon」「My heart will go on」「Melodie pour Natasha」「Ton regard」その他。Very Good 。帰国してから何度も聞き惚れた。いい加減な不良品ではないので、お薦めCDである。

サクレ・クール聖堂の外周を回ってテルトル広場(写真13)に向かう。19世紀後半、生活費の安さや自由な雰囲気に惹かれ、印象派からエコール・ド・パリ、その他、様々な芸術家たちがモンマルトルの丘に集まった。その伝統が今でも生きており、テルトル広場には画家や似顔絵描きたち(写真14)が集まり、制作・展示販売している。どれもうまく個性的で見ているだけで楽しい。似顔絵は10分くらいで描いてくれるそうで、値段は交渉次第。妻もその気になったが結局やめた。

11:00、少し疲れたのでテルトル広場に面したカフェのテラス席でコーヒータイムにする。カフェオーレ(5ユーロ)カプチーノ(6ユーロ)。日本円にすれば2人で1500円程度。高い!

 
     
A 凱旋門からエッフェル搭
  モンマルトル観光のあと、地下鉄「ANVERS」駅から2番の地下鉄に乗り凱旋門へ行く。凱旋門の駅名は「CHARLES DE GAULLE ETOILE」(シャルル・ド・ゴール・エトワール)。フランス語は読みにくい。地下鉄の駅から地上に出ると目の前に巨大な凱旋門(写真15)がそびえ建ち、旅行者はこれに驚かされる。

1805年、ナポレオン指揮下のフランス軍は自分たちの倍の規模を持つ連合軍に対し、オステルリッツで劇的な勝利を収めた。これを記念してナポレオンは、当時5本の大通りが集まっていた星型広場(エトワール)に大凱旋門の建設を命じる。しかし、建設は遅々として進まず、ナポレオンの死後完成する。凱旋門の屋上テラスには階段で登れるのであるが、以前パリに来た時に登ったので今回はパスする。
パリへのお登りさんなら一度は歩く「シャンゼリゼ大通り」(写真16)が凱旋門からコンコルド広場に向かって一直線にのびている。マロニエとプラタナスの並木の下、広い歩道にはカフェテラスがオープンし、多くの人が喫茶や食事を楽しんでいる。そして、大通りの両側は外壁が素晴らしい高級ホテル、銀行、デパート、アパルトマン等々が連なる。宮殿のような外観のHSBC銀行(写真17)、シャンゼリゼ大通りとジョルジュ・サンク大通りの角にある老舗カフェ・フーケッツ(写真18)、宮殿のような外観をしている「マリオットホテル・シャンゼリゼ・パリ」(写真19)等々見応えのある建物が続く。

それらを見ながら妻と2人でシャンゼリゼ大通りを歩く。ニコニコ顔の妻。日本人女性をパリに同伴すれば大抵満足する。
「オー、シャンゼリゼー、オー、シャンゼリゼー」
非日常的な風景の中にいると、誰でも気分が高揚してくる。パリの魅力、恐るべし!

お腹も減ってきたのでどこのレストランでランチにしようか、見てまわる。これが結構楽しい。結局、シャンゼリゼ大通りのレストラン(写真20)は混んでいて高そうなので、1本横道に入ったカフェにした。

我々の注文した料理(写真21)は「グリーンサラダ(4.5ユーロ)、サーモンパスタ(11.5ユーロ)フライドポテト・プレート(3.5ユーロ)コカコーラ(3.9ユーロ)」計23.4ユーロ(約3000円)。どれもおいしくてよかったが、サーモンパスタの量の多さに驚く。2人で食べても食べ切れなかった。

昼食後はシャイヨー宮方面へのんびり歩いて行く。パリの凄さは大通りを外れた小道を歩いていても両側に建つ建築が素晴らしいことである。Pierre Charron通りに立つ華麗なビルとカフェ (写真22)。Pierre ler de Serbie通りに立つビル(写真23)。オフィスなのかアパルトマンなのか分からないが、外観が綺麗なのでついカメラに収める。7本の道路が交差する地下鉄IENA駅、ここも美しい交差点(写真24)である。そして、シャイヨー宮(写真25)に至る。

シャイヨー宮は1937年のパリ万国博に建設されたもので、左右対象に翼を大きく広げたような形をしている。ものすごく巨大!シャイヨー宮の内部は現在、各種の博物館「海洋博物館」「人類博物館」「建築・文化財博物館」になっている。シャイヨー宮のテラスからの眺望(写真26)も素晴らしい。記念撮影に最高の場所である。目の前にエッフェル塔、そして、広大なシャン・ド・マルス公園が旧陸軍士官学校まで続く。

歩き疲れたので、エッフェル塔の見える大きな木の木陰(写真27)で横になり昼寝をする。日光に当たると暑いが日陰は涼しい。やわらかい芝生の上で2人とも1時間くらい熟睡する。これで元気を回復する。

私は今までに2度パリに来たが、時間がなくて一度もエッフェル塔に登っていない。よって、今回は是非トライしてみようと思ってチケット売り場に行ってみたが‥‥‥。どこも長蛇の列(写真28)、列、列‥‥。もの凄い人気、これでは3階の展望台に上がるのは至難の技!結局、今回も断念した。

 
     
B 音楽と舞踏の殿堂「パレ・ガルニエ(オペラ座)」
  パリで最もパリらしい場所はオペラ大通りに続く「パレ・ガルニエ(オペラ座)」だと私は思う。この日はホテルから地下鉄を乗り継いで「PYRAMIDES」で下車。地下鉄「PYRAMIDES」駅はオペラ座とルーブルのほぼ中間点に位置し、「マイバス」「ミキ・トラベル」等、日本人向け旅行会社のオフィスに近い。おまけに日本料理店の集中するサンタンヌ通りにも近く、何かと便利な駅である。

地下鉄「PYRAMIDES」駅から地上に出るとオペラ大通りの素晴らしい建物(写真29)が目に入る。高さが統一され外壁の装飾がエレガントなビル群に唖然!日本にはあり得ない街並みに驚かされる。ゆっくり歩いてオペラ座(写真30)に向かう。だんだんオペラ座が近づいてくる。圧倒的な迫力、堂々として優雅、実に見事なオペラ座(写真31)である。

パリのオペラ座は音楽、舞踏の殿堂のみならず、パリの都市計画の重要な役割を持っていた。19世紀後半、ナポレオン3世は大規模なパリの都市改造計画を打ち出す。彼はルーヴル宮の北、商業、金融、ビジネスの中心だった地区に、「貴族や資産家の社交場」としてオペラ座の建設を命じたのである。1861年、設計コンクールで選ばれた若干36歳のシャルル・ガルニエは多彩な表現を取り入れ、皇帝の好みにあうよう「ナポレオン3世スタイル」を試み1875年にオペラ座(写真32)を完成する。明治8年のことである。

オペラ座完成の数年前、明治4年から6年にかけて岩倉具視率いる使節団がアメリカ・ヨーロッパを歴訪した。日本と欧米の力の差は歴然としている。使節団の若きエリート達は何を感じたのであろうか?初夏の青空をバックに黄金の像(写真33)が輝いている。誠に見事、唖然として見上げる。

入場料(8ユーロ)を払ってオペラ座の劇場内に入る。まずは中央入り口の大階段(写真34)に驚く。重厚な大理石造りで精緻なモザイク装飾の天井もすごい。圧巻はベルサイユ宮殿に劣らぬ豪華絢爛なホワイエ(ロビー:写真35)。パリ・オペラ座は貴族や資産家たちの社交場なので、オペラの幕間にここでワイングラスを片手に談笑したのであろう。

いよいよ大ホール(写真36)に入る。バルコニーをもつ2000席の観客席(写真37)は皇帝の色である「赤と金」で装飾されている。客席のカテゴリーは1〜7まであり、2009〜2010年の料金はオペラ(138ユーロ〜7ユーロ)バレエ(87ユーロ〜6ユーロ)ただし、安い席からは舞台が見えないこともあるという。客席から見上げると、天井にはシャガールの絵画「夢の花束」(1964年製作:写真38)があり、オペラの祭典が描かれている。中央の7トンのシャンデリアが突然崩れ落ち、ミュージカル「オペラ座の怪人」がはじまる‥‥。「ジャーン、ジャジャジャジャーン」

劇場内を興奮して見学した後、クールダウンのためにバルコニー(写真39)に出る。ここからの眺めは素晴らしい。オペラ大通り(写真40)がルーヴル宮まで一直線に伸び、道路の両側には美しく統一された建物が続く。都市計画の見事な成果である。興奮未だ醒めず、次々に建物の写真を撮る。オペラ座の真正面、一等地のビルに語学学校ベルリッツ(写真41)を見つけた。パリの安いアパルトマンに下宿してオペラ座のベルリッツに通ってフランス語と英語を学んでみるか?夢は広がる‥‥。

オペラ座正面に建つ由緒ある高級ホテル「インターコンチネンタル・ル・グラン・ホテル・パリ」(写真42)。王宮のようなラウンジは大理石の床で埋めつくされているという。宿泊料金:1泊1室(2名)41200円〜79200円(8月、アップルワールド)オペラ座の周囲を堪能した後、ラ・ペ通りをヴァンドーム広場方面に向かう。途中、JCBプラザに寄り情報収集とトイレ休憩に使う。

ヴァンドーム広場(写真43)は観光客が少なく落ち着いていて、いい雰囲気である。広場中央の記念柱はナポレオンがオステルリッツ戦のプロシア軍から奪った戦利品の大砲をつぶして造らせたもの。頂上にはシーザーの姿でローマの方向をにらむナポレオン像がある。

ヴァンドーム広場にそびえたつ超高級ホテル「リッツ・パリ(写真44)」。イギリスの故ダイアナ妃が最後の食事をとったホテルでもある。宿泊代金は1泊1室(2名)74300円〜241200円(8月、アップルワールド)さすがに高い。庶民ではとても泊まれない。ヴァンドーム広場を眺めながらコーヒータイムにしたかったのであるが、宝石店やブランドショップ等しかない。ラフな旅行者の格好では超高級ホテル「リッツ・パリ」のラウンジを利用するのも気が引ける。結局、オペラ大通りにもどりカフェで一休みする。

 
     
C ルーブル美術館からノートルダム大聖堂
  地下鉄「PYRAMIDES」駅から南に歩いていくと広大なチュイルリー公園(写真45)に出る。典型的なフランス式庭園で、広い散歩道を中央に置き、左右対称に造られている。大きな木の下にはベンチが沢山あり、疲れた時には絶好の休憩場所になる。ここから東に向かうとすぐに「カルーゼル凱旋門」(写真46)になる。1805年ナポレオンの勝利を記念し1808年に完成した「カルーゼル凱旋門」は、高さ15m、門の上には馬車に乗る王政復古の女神の彫刻がほどこされている。ここからルーブル宮がはじまる。

ルーヴル宮(ルーヴル美術館)(写真47)は中に入らなくても外観を見てまわるだけでも楽しい。ルーヴルは美術館である前に、要塞そして宮殿としての歴史があった。太陽王ルイ14世の統治下に、現在の形がほぼ出来上がるが、王はヴェルサイユに宮殿を移してしまったので、ルーヴルは宮殿の役割を失う。その後、ルーヴルには「絵画・彫刻アカデミー」が設置され芸術の国フランスの基礎が作られる。1793年8月10日、王政から共和国となったフランスで、ルーヴルは美術館(写真48)として再生し、今や、世界最大の美術館となる。

ルーヴル美術館入場は別の日にして、この日はセーヌ川のほとり(写真49)を歩き、ノートルダム大聖堂があるシテ島(写真50)に向かう。個人旅行は実にいい。時間を気にせずぶらぶらセーヌ川のほとりを歩ける。もし、私が若かったなら、金髪のパリジェンヌに声をかけ‥‥。

パリの街中を歩いてみると、手をつなぎ、肩を抱いて歩くカップル、信号待ちでキスをするカップル、ベンチで抱き合うカップル‥‥。離れて歩くカップルは少ない。私の横には長年連れ添った妻がいる。ここはパリなので少し羞恥心を忘れて、我々も真似してみる。妻は喜ぶ。冷めた愛がパリの魅惑で復活?

シテ島(写真51)に渡りノートルダム大聖堂方面に向かう。途中、堂々とした美しい建物(写真52)に出会う。パリの街角の偶然の出会いが楽しい。しばらく歩いていくと荘厳なゴシック様式の大聖堂「ノートルダム大聖堂」(写真53)に着く。何と言うスケールの大きさ!何と言う装飾の華麗さ!ここでも圧倒される。パリは世界中から人を集める魅力を持っているのであろう。大聖堂の前の広場も観光客であふれている。

ノートルダム大聖堂(写真54)の歴史は古く、1163年にパリ司教シュリーによって起工され、1320年頃完成した。大聖堂正面に3つのポルタイユ(門:写真55)がある。左から、聖母マリアが永遠の眠りにつく場面が描かれた「聖母マリアの門」、天国と地獄の様子が表現された「最後の審判の門」、そして聖母子とマリアの母アンナが彫られた「聖アンナの門」である。近くから見上げると大聖堂正面は大き過ぎて1枚の写真には入りきれない。ポルタイユの上部(写真56)には、下から順に「ユダヤとイスラエルの王を表した28体の彫刻」「バラ窓」そして、「南塔」となる。残念ながら閉館時間を過ぎていたので外観のみを写す。

パリの夏の日暮れは遅い。少々疲れたのでノートルダム大聖堂の真横にあるビルのカフェ(写真57)で一休みする。この明るさでも既にに午後8時をまわっている。夏のヨーロッパは日中が長く観光にベストなシーズンである。そろそろ地下鉄に乗ってホテルに帰る。

 
     
D アンヴァリッドからセーヌ川クルーズ
  エッフェル塔の近くに金色に輝くドームがある。「アンヴァリッド」(写真58)である。ここはルイ14世が負傷廃兵の収容施設として建設したもので、廃兵院と訳されている。現在はナポレオンの墓所として有名である。

アンヴァリッドから北方面に1本の大きな道路があり、両側に広大な芝生が広がる。パリはスケールが大きく観光名所を歩いて見て回ると結構疲れる。芝生の上を歩きながら北に進むとセーヌ川に架かる美しい橋「アレクサンドル3世橋」(写真59)に至る。この橋はフランス共和国の大統領サディ・カルノーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世により1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設、パリ市に寄贈された。日露戦争(1904〜1905)開戦4年前のことである。

アレクサンドル3世橋の北側に「グラン・パレ」(写真60)と「プティ・パレ」(写真61)がある。グラン・パレは1900年のパリ万国博のメイン会場として建てられたもので、現在、グラン・パレ内には美術館「グラン・パレ国立ギャラリー」がある。大通りを挟んでグラン・パレと対面しているのが「プティ・パレ」である。プティ・パレはグラン・パレ同様1900年のパリ万国博会場として建てられたものである。プチは小さいの意味であるが、堂々として立派な建物で、現在は「パリ市立美術館」になっている。芸術愛好家にとっては両方とも入館して芸術鑑賞すべきところであるが、時間の関係で我々はパスする。

パリに来た以上セーヌ川クルーズは外せない。夕方になってしまったがクルーズ乗り場の「バトー・ムッシュ」(写真62)に行く。そして、30分くらい待って午後7時発のセーヌ川クルーズ(写真63)に乗船する。料金10ユーロ。夏のパリは午後7時でも十分明るく昼間のクルーズとして楽しめる。

クルーズは静かにセーヌ川を東の方にさかのぼる。すぐに美しいアレクサンドル3世橋の下をくぐる。次々と両岸に見事な建物(写真64)が現れ、パリの建築美の凄さに驚かされる。進行方向右側にオルセー美術館(写真65)が見えてくる。これも凄い。左にルーブル宮を眺めているうちに船は次第にシテ島に近づく。

シテ島西端を横切って両岸を結ぶ「ポン・ヌフ」(写真66)はパリで最も古い橋で1607年の完成という。この橋の欄干の下にあるデザイン(写真67)が面白い。様々な表情をした人間の顔(写真68)が飾られているが、橋の上からは死角になっており、船上からしか見えない。400年も前の時代の遊び心がいい。

船はサン・ルイ島の先でUターンし、出発点のバトー・ムッシュを越え、エッフェル塔に架かる「イエナ橋」(写真69)、自由の女神像まで南下し再びUターンし帰ってくる。所要時間約70分。パリのセーヌ川一帯は世界遺産にも登録されている名勝の宝庫なので、初夏の風を感じながらクルーズ(写真70)を楽しむのは実にいい。ランチクルーズやディナークルーズもあるが、予約も不要でお安いデイクルーズがお薦めである。

 
     
E 世界遺産「フォンテーヌブロー城」
  パリ滞在中、私たち夫婦で電車・バスを乗り継いで世界遺産「フォンテーヌブロー城」(写真71)に行ってきた。フォンテーヌブロー城はパリから電車で40分くらいの場所にあり、もともとはパリの王族がここの森で狩りを楽しんだ簡易宿泊所だった。その後、フランソワ1世からルイ16世まで7代の王がこの地を愛し次々と建物を継ぎ足してきたのが今の城である。

パリ滞在中に地下鉄は何回も利用したので、スムーズにパリ・リヨン駅に行く。しかし、ここで意外と苦労した。チケットオフィスを探し、どこ行きの列車に乗ればいいのか?何番ホームで待てばいいのか?右往左往する。何とか10:05発「Montereau/Montargis」行きの列車(写真72)に乗り込み、ひと安心する。料金7.5ユーロ(990円)。

パリ市街を抜けると車窓には深い森が現れる。列車はしばらく森の中を進み10:41フォンテーヌブロー駅着。わずか36分の列車の旅である。駅前からバスに乗って15分くらいでお城に着く。バス代1.7ユーロ(224円)。平日のためかフォンテーヌブロー城正面(写真73)は人影もまばらで寂しそう。さらに、黒い雲が空一面をおおい、今にも雨が降りそうである。残念、しかし、フランスの天気は気まぐれで、突然青空になったりするので幸運を期待しよう!

きらびやかな門をくぐると緑の芝生が美しい「白馬の中庭」(写真74)になる。かなり広い庭であるが、これはフォンテーヌブロー城のごく一部。宮殿の廊下をくぐり抜け「泉の中庭」に来る。この先に大きな「鯉の池」が広がりボート遊びもできる。

そして、「大花壇」(写真75)に来てみると初夏の花々(写真76)が咲いている。この花壇の中央には大きな池と噴水があるので、花壇全体としは相当広い。あちこち歩いて写真を撮る。大花壇の花と噴水、そして、バックにフォンテーヌブロー城(写真77)。私の最も期待していた場所である。青空でないのが誠に残念。ベルサイユ宮殿に比べると、ここは観光客が少なく実に静かである。「白馬の中庭」「泉の中庭」「イギリス式庭園」「大花壇」等の庭めぐりだけで午前中を過ごす。

ここらで、腹ごしらえをする。お城からいったん出て、正門から一番近いカフェ・レストラン(写真78)に入る。我々のランチ(写真79)は「ツナ・トマト・チーズサラダ(9.1ユーロ)」「オムレツ・ナチュラル(6.3ユーロ)」「ペプシコーラ(3.2ユーロ)」フランスパンはメインに付いてきてお替り自由。サラダ、フレンチフライのボリュームがすごい。2人で食べても十分満足する量である。味もGoodで気分が良かったので食後にカフェオーレ(4.0ユーロ)を注文。税金1.18ユーロ入れて合計22.6ユーロ(約3000円)払った。

ランチの後、入場料8ユーロ(音声ガイド付き:1056円)を払ってフォンテーヌブロー城の内部に入る。この音声ガイドは優れ物で、これさえあればフォンテーヌブロー城の解説はバッチリである。まずは暦の回廊(写真80)を巡る。1866年にナポレオン3世が創設したもので、この宮殿で繰り広げられた輝かしい歴史が絵画で紹介されている。

豪華絢爛なフランソワ1世の回廊(写真81)に驚く。16世紀初め、イタリア戦争でアルプスを越えてイタリアに入ったフランソワ1世は、当時絶頂期にあったイタリア・ルネッサンス文化の素晴らしさに魅了され、イタリアの建築家・画家達をフランスに呼び寄せた。王は城内の三位一体礼拝堂(写真82)のミサに毎日参列するため、自分の住居棟と教会を結ぶこの回廊をイタリア人に命じて建造させたのである。ここにフランス・ルネッサンスの最初の偉大な作品が生み出された。

イタリアから来た芸術家の中には、あの「レオナルド・ダ・ビンチ」もいたというから驚く。フランソワ1世の回廊の壁にかかっている絵画と彫刻(写真83)が美しい。

次に「舞踏会の広間」(写真84)に入る。ここはフランソワ1世の時代に工事が始められ、アンリ2世に時代に完成したもので、壁面のフレスコ画はイタリア人達によって1550年に製作された。聖サチュルナン礼拝堂(写真85)は1169年にカンタベリー大司教、トーマス・ベケットによって建てられたもので、ルネッサンス期に建て直された。アンリ2世はこの礼拝堂の2階にパイプオルガン演奏席を造らせた。

フランソワ1世の寵姫であったエタンプ公爵夫人の寝室の壁に掲げてある装飾(写真86)が素晴らしい。1749年ルイ15世は建築家ガブリエルに命じてこの部屋を階段に改造させた。よって、現在ルイ15世の階段とも呼ばれる。美しい女性の彫刻を見ると自然にカメラが向く。

ルイ13世の間(写真87)。1601年この部屋で国王の後継者である王太子が誕生した。王は男子を得たことにいたく感動し、大粒の涙をこぼして泣いたという。

長さが80mにもおよぶこの「ディアナの回廊」(写真88)はアンリ4世の時代に建造された。ナポレオン3世は、回廊を図書室に改装した。現在、ここにはかってのナポレオン1世の図書館から移設された16000冊の書物と、彼が1810年に作らせた地球儀が置かれている。

お城の主役「玉座の間」(写真89)。16世紀からフランス革命まで、この部屋は宮殿内で最も神聖な場所「王の寝室」であった。板張り仕上げの下の部分と天井の中央の装飾モチーフは、ルイ13世の時代に作られ、残りの装飾はルイ15世の時代のものである。ところが、ナポレオン1世は1808年、この寝室を「玉座の間」(写真90)に替えた。フォンテーヌブロー城で一番見事な部屋だと思う。フランスに残る最後の玉座の間で、拝謁式や宣誓の儀式が行われた。

ナポレオンはルイ16世の化粧室を「皇帝の寝室」(写真91)に替えた。この時、金箔で強調された勝利の女神や蜂の紋章、皇帝の頭文字が寝室の装飾に付け加えられた。さらに、寝台の上部には、正義と豊穣が、その反対側には気品と栄光が彫刻された。皇帝の執務室(写真92)、ナポレオン1世は異例とも言えるほど精力的に仕事をこなした。彼はあまり睡眠をとらず、休憩用に設置された簡易ベッドで、時々、短い休息をとるだけだった。

退位の間に入る。美しく輝いた花もいつか枯れる。1814年3月、敵である同盟軍がパリに到着し首都は占領された。4月3日、元老院はフォンテーヌブロー城に逃れていた皇帝の廃位を宣言する。4月6日、ナポレオンは私室(退位の間:写真93)の小型円卓の前に座り退位状に署名し、周りを囲む元帥たちに言った。「諸君は休養を望んだ、さあ休むがいい」。そして、4月20日、ナポレオンは、流刑地のエルバ島へと出発する。

歴代フランス王たちの華麗な歴史を見てきたが、本物には本や映像とは違った迫力がある。ヨーロッパの歴史に興味がある人にはお勧めの場所である。個人で行くとめんどうで、時間もかかるが、それだけの価値はあると思う。往復の交通費・入場料合わせて26.4ユーロ(3485円)しかかからないのも魅力である。ツアー代金の半分以下! ‥‥パリ滞在記U(美術編)に続く‥‥

 
     
F 一般情報
  ◎パリ(世界の都市)ホテル予約サイト
(1) エクスペディア
http://www.expedia.co.jp/
(2)アップルワールド
http://appleworld.com/apl/index.html
パリのホテルは7・8月が意外にすいている。バカンスシーズンで大きな催し物もなく、ホテルによってはオフシーズンの特別価格を提供しているものもある。上記のサイトで丹念に調べれば掘り出し物があるかもしれない。

◎サクレ・クール聖堂
http://www.sacre-coeur-montmartre.com/us/index.html

◎エッフェル搭
http://www.tour-eiffel.fr/teiffel/multi/jp.html
エッフェル搭見学に必要な情報が日本語で書かれている。

◎パレ・ガルニエ(オペラ座)
http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/index.php?&lang=en

◎ルーブル美術館
http://www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp?bmLocale=ja_JP
ルーブル美術館の公式サイト(日本語版)

◎アンヴァリッド
http://www.invalides.org/pages/menu.html

◎セーヌ川クルーズ会社「バトー・ムッシュ」
http://www.bateaux-mouches-japon.com/about.html
1949年創業。老舗のセーヌ川クルーズ会社。50年以上の歴史があり、会社名であり商標名である「バトー・ムッシュ」はセーヌ川クルーズの代名詞にもなっている。

                                        (2009年12月 掲載)