@ 圧倒的迫力のミラノ大聖堂ドゥオーモ  
     
A ショッピング・アーケードのガッレリアとスカラ広場  
     
B その他のミラノ観光  
     
C ベルン大聖堂と夕日に染まるスイスアルプス  
     
D ベルン市内の噴水めぐり  
     
E ベルンと天才「アインシュタイン」  
     
F 怒濤のように迫るベルン交響楽団の演奏会  
     
G 一般情報  
     
  旅行時期:2009年10月27日〜10月31日
為替レート:1ユーロ=132円、1スイスフラン=90円
 
@ 圧倒的迫力のミラノ大聖堂ドゥオーモ
  ヴェネツィア⇔ミラノ間の鉄道はイタリアでもメインルートなので1日に何本もの特急列車が走っている。ミラノまでの所要時間は2時間35分。10月27日13時50分発のユーロスターに乗ってミラノに行く。ミラノ中央駅付近には手頃な値段のホテルが多数あるので鉄道旅行者にとっては便利である。

我々のミラノのホテル「レジデンツ・デレ・チッタ」(写真1)はミラノ中央駅から北側へ道路を1本入った清閑な場所にある。ここはホテルではなく長期滞在用のレジデンツなので、外観は極めて質素で面白みがない。でも、4星ホテルになっているので少しは期待して客室に入る。

一歩客室(写真2)に入った瞬間嬉しくなってきた。部屋は予想以上に広く、ウッディな内装はまるでアジアンリゾートを連想させる。キッチン(写真3)も広くて使いやすそう。大型冷蔵庫、コンロ、電子レンジ、コーヒーメーカー付、そして、まな板から包丁、食器類、グラス類が整然と並べられている。我が家のキッチンよりはるかにグレードが高い!

ダイニングテーブルは小型であるが、2人で食事をするのにちょうどいい。広々としたバスルーム(写真4)もいい。バスタブにお湯を張ってゆっくり旅の疲れを癒せる。長期滞在者の健康管理のためホテルの地下1階にジム(写真5)もある。この客室で1泊のルームチャージが12739円(税・サ込、Expedia)である。我々はここで2泊し、ミラノ観光の後、ミラノ中央駅にあるスーパーで食材を買い、部屋で簡単な食事(写真6)にした。ミラノ中央駅まで徒歩圏内なので、ここを拠点にして1週間くらいミラノに滞在してみては?

この日は、ミラノの中心地「ドゥオーモ」を起点に、ショッピング・アーケードの「ガッレリア」、オペラの殿堂「スカラ座」、高級ブティック街「モンテ・ナポレオーネ」を見てまわる。

ミラノ中央駅から地下鉄3線(黄色)に乗って4つ目の駅ドゥオーモ下車。地上に出ると、いきなり壮大な大聖堂「ドゥオーモ」(写真7)と対面する。
「ワオ〜、スゴイ〜、感動!」
高さ108.5m、奥行き157mの巨大なゴシック様式の大聖堂。外部を装飾する彫刻は2245体、尖塔の数は135本‥‥。人間のすることは計り知れない。以前ミラノに来た時はドゥオーモの正面が修復中でがっかりしたが、今回は、古い大理石がピカピカに磨き上げられ美しくリニューアルされた。背筋がゾクゾクするくらい感動する。とにかく素晴らしい!

ドゥオーモは、1386年、ミラノの領主ヴィスコンティ家のジャン・ガレアッツオの夢「ローマのサン・ピエトロ寺院に次ぐ大聖堂を建築する」からはじまった。それから実に500年もの歳月をかけて1887年に完成。天空を突き刺す尖塔(写真8)の上には人体の彫刻がのっている。ドゥオーモは正面だけではなく、脇にも回って眺めてみるとその巨大さが分かる。

側面にも様々な装飾が施されており、背後(写真9)もまた凄い。ドゥオーモの真後ろにある巨大なバラ窓は内部から見れば後陣のステンドグラスになっており、太陽光線の変化と共に神秘的な空間(内陣)をつくり出す。ドゥオーモの裏通りに小さなオープンカフェ(写真10)を見つけた。ここはドゥオーモ正面の喧騒とはまるで違う静かな雰囲気をしており、こういうカフェを見るとついコーヒーを飲みたくなる。

コーヒータイムは後にして、大聖堂の屋上へ階段を使って登る。(エレベーター利用もある)一歩一歩階段を上がっていくと突然視界が開け尖塔群(写真11)の真中に出る。思わず感動!カメラのシャッターを押しまくる。尖塔の上に乗っている人物像が意外に大きく、少なくとも実物大くらいには見える。

ドゥオーモの側面の屋根の上を横切って最後の階段を登る。途中、至近距離で尖塔(写真12)と人物像を見る。尖塔1つ1つが立派な塔である。それが135本もあるとは‥‥。驚きのドゥオーモ。やっと頂上(写真13)に着く。前後左右いずれも繊細な装飾が施された尖塔で囲まれている。

尖塔の一番高いところにそびえ立っているのが、黄金の聖母「マドンニーナ」である。今日は天気はいいのであるが、空が霞んでいて視界があまり良くない。ガイドブックによれば、ここからモンテ・ローザはじめアルプスの山々を望むことが出来るという。残念。ドゥオーモ頂上を十分堪能した後、ゆっくり降りる。

ドゥオーモ広場はいつも賑わっている。そんな中、金髪の綺麗な少女(写真14)が一人静かに本を読んでいる。
「お嬢さん、どこから来たの?」
私が若いイタリア留学生であれば声をかけるのであるが‥‥。もちろん、下手なイタリア語で。

 
     
A ショッピング・アーケードのガッレリアとスカラ広場
  ドゥオーモ見学の次はショッピング・アーケードの「ガッレリア」(写真15)に行く。正式名称は「ヴィットリオ・エマヌエーレU世のガッレリア」。ガッレリアの中に入ると、光が差し込む高いガラスの天井、装飾の綺麗な建物、モザイク模様の床に驚かされる。ガッレリアのアーケードが交差する中央十字路(写真16)で観光客は立ち止まる。上を眺め、周りを見、下を向く。ガッレリアの中にはお洒落なカフェ・レストラン(写真17)が沢山ある。風雨がしのげ、快適なオープンカフェで通行人を観賞しながら食事やティータイムができる。ガッレリアは世界有数の素晴らしいショッピング・アーケードだと思う。

ガッレリアを抜けるとスカラ広場(写真18)に出る。ミラノも秋が深まり、葉っぱが色づいてきている。スカラ広場中央に建つのはルネッサンスの天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」(写真19)そして、ダビンチが見ている正面にオペラの殿堂「ミラノ・スカラ座」(写真20)がある。少々異質な見所であるが、スカラ広場の近くにオメノーニの家(写真21)がある。16世紀の宮廷彫刻師レオーネ・レオーニの作で8人の巨人が玄関を支えている。

私は興味がなかったが、妻が是非ともと言うので「モンテ・ナポテオーネ通り」(写真22)をぶらぶら歩く。ここは、ローマ時代には城壁が、中世には貴族の館が立ち並んだ場所で、今では高級ブッテック街になっている。買い物はせずに通り過ぎる。

お腹が減ってきたので、ガッレリアの北側、サン・フェデ−レ広場に面したリストランテ「パーパ・フランチェスコ」(写真23)に入る。我々もミラノの人達と同じように、通行人が良く見える一番外側の席に座る。ウエイターがいきなり日本語で挨拶してきた。

オーダーは水(4ユーロ)、サラダ盛り合わせ(8ユーロ)、パスタ3種盛り合わせ(写真24:18ユーロ)。パスタ3種盛り合わせは油こくて、くどい。しかも席料2人で7ユーロもとられ合計37ユーロ(4884円)にもなった。高くて不満の残るランチだった。

 
     
B その他のミラノ観光
  ミラノ観光はドゥオーモにはじまって、ドゥオーモに終わるような気がする。それ程、大聖堂の存在感は大きい。今回は、少し足を伸ばして、スフォルツア城、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、ブレラ絵画館とまわる。

ドゥオーモ広場から西に向かって幅の広い歩行者天国「メルカンティ通り」がある。メルカンティ通り(写真25)の真中にカフェ・レストランが並び、各店のメニューや店の雰囲気を覗きながらぶらぶら歩きをするのも楽しい。ヨーロッパにはこのようなオープンカフェが至る所にあり、人々は春から秋まで屋外で喫茶や食事を楽しむ。空気が乾燥し雨が少ないので観光にベストなシーズンなのであろう。

メルカンティ通り・ダンテ通りと歩行者天国は続きその突き当たりが「スフォルツア城」である。ミラノ・ルネッサンス期最大の宮殿「スフォルツア城」(写真26)はヴィスコンティ家の跡地にフランチェスコ・スフォルツア公爵により、1450年に城兼要塞として建てられた。城の真正面にあるフィラレーテ門を入ると昔の錬兵場であった中庭(写真27)になる。かなり広い庭でグリーンの芝生が綺麗。さらに進み深い堀とハネ橋を渡るとかっての領主の住まいであった建物(写真28)になる。この中にスフォルツア城博物館があり、ミケランジェロ最後の未完の作品「ロンダニーニのピエタ」もある。

スフォルツア城を出て、地図を片手に歩きながら「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」(写真29)に向かう。広い道路が何本も走っており迷いながら目的地につく。この移動だけで大分疲れた。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の横に「旧ドメニコ修道院」(写真30)があり、ここの食堂の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」が描かれている。

「最後の晩餐」見学は完全予約制でいつも満員。当然ながら本日も見学不可なので隣の「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」(写真31)に入る。この教会はミラノ・ルネッサンス期最大の建築物で1466〜1490年に建築。教会の裏側に回ると回廊付の優雅な中庭(写真32)がある。観光客もおらず実に静かな雰囲気、回廊に座ってダビンチを偲ぶ‥‥。(疲れを癒す?)

ミラノ観光でもう1ヶ所、必見の場所がある。「ブレラ絵画館」(写真33)である。地下鉄3線(黄色)のモンテナポレオーネ下車。地図を頼りに歩く。ブレラ絵画館正面の入り口を入ると中庭(写真34)がある。中庭の回りは円柱の支えるアーチが2層に重なり、美しくも重厚な回廊になっている。ブレラ絵画館ではイタリア絵画の歴史が一堂に観賞できる。

 
     
C ベルン大聖堂と夕日に染まるスイスアルプス
  10月29日、ミラノ中央駅11時20発の国際特急列車「チザルピーノ」に乗車し、アルプスの山々と湖を左右に見ながらスイスの首都ベルンに行く。

ヨーロッパの多くの都市が戦争によって破壊されてきたなか、永世中立国スイスの首都「ベルン」は無傷で残った。現在でも15世紀以来の石造りのベルンの街並みがそのまま残っており、街全体が世界遺産に登録されている。見所は多い。

ベルンの旧市街を南北に貫く大通りの中にベーレン広場(写真35)があり、毎日(日曜日以外、5〜10月)野菜・くだもの・花市が開かれる。朝から夕方まで賑わっているので、お祭りみたいで旅行者にとっては嬉しくなる。また、ベルン市内には「coop city」(写真36)というスーパーマーケットが沢山あり、食料品から日用雑貨まで幅広くそろっている。値段も手ごろなので庶民の味方である。

今夜のホテルはベーレン広場から150mくらいの近場にある4星の「ホテルベルン」(写真37)である。堂々とした構えに期待が膨らむ。外観は古風であるが、一歩、ホテル内に入ると極めて現代的なデザインに驚く。部屋の中もモダン・スタイリッシュなデザイン(写真38)で少々やり過ぎの感じがする。

私は中世の古都「ベルン」に相応したシックなインテリアを期待したのであるが‥‥。客室はそれ程広くなくバスルームにはバスタブがない!4星ホテルなので当然バスタブくらいはあると思っていたが、これには失望した。とりあえず、熱いシャワーを浴びて汗を流す。そしてベッドに寝転がる。これが気持ちいい〜。

これで1泊のルームチャージが10/29(木)22953円、10/30(金)17390円(2名の朝食込み、税・サ込み、Expedia)ホテルベルンは旧市街のほぼ中心に位置しており、すべての見所が徒歩圏内なので観光旅行には非常に便利なホテルである。フロントの受付嬢達は流暢で綺麗な英語をしゃべるので情報(天気・コンサート等)の収集も比較的容易である。

この日は午後3時過ぎにホテルにチェックインしたのでベルン旧市街のメインストリートを急ぎ足で見てまわる。天気はいいのであるが、旧市街の中は日陰になってきている。よって、途中から方向を変えて、大聖堂の南にある見晴台に行く。そして、この見晴台(写真39)に出たとたん絶景が広がった。アーレ川の水面ぎりぎりに豪華な建物(写真40)がある。

ベルンはアルプスの雪解け水を集めた「アーレ川」が台地にぶつかって大きく湾曲した半島にできた小さな街。台地と河原の間にも所狭しと住宅(写真41)が建つ。長年の川の侵食によって周囲が削られ、高い断崖に三方を囲まれた自然の砦が出来上がった。そんな絶好の場所に1191年、ツェーリンゲン公が要塞都市を築いた。ベルン誕生物語である。当初は木造の街並みだったが、1405年の大火で焼失。その後、石造りで再建され、当時のままの重厚な街並みが今日まで残されている。

アーレ川の近くに「市立劇場」(写真42)が堂々と建っている。ここでオペラやコンサートが行われるが、残念ながら我々の滞在中は公演予定なし。市立劇場の北側はアーレ川に架かる長い橋「コルンハウス橋」になる。橋の上は絶好のビューポイントで、特に、晴れた日の夕暮れはここに来たれ!幸運にもベルン到着の日の夕方、誠に美しい夕焼けに出会えた。

1 アーレ川と聖パウル教会(写真43
2 ベルン大聖堂とアルプスの白い峰(写真44
3 茜色(あかねいろ)に染まる聖パウル教会とアルプスの山々(写真45

コルンハウス橋の上から見た夕焼けの風景に言葉を失う。アルプスの白い巨人たちは左からアイガー(3970m)メンヒ(4099m)ユングフラウ(4158m)。飽きもせずこの眺めを楽しむ。しかし、日が陰ってくると急に寒くなる。しかも、ここはアーレ川に架かる高い橋の上、寒さがこたえる。振り返れば見事な夕焼け!いよいよクライマックスを迎える。急いで場所を変え、旧市街を南に突き抜けて「キルヒェンフェルト橋」へ行く。

ピンクに輝き出したアルプスの山々を背景にした「キルヒェンフェルト橋」(写真46)も素晴らしい。日が落ちる前にキルヒェンフェルト橋を渡り、対岸からベルン大聖堂(写真47)を見る。音も風もない静寂の大聖堂とアーレ川、見事な光景!日が落ちる寸前、微かな光が連邦議事堂(写真48)を照らす。寒さは一層増し、体は冷え切ってしまったが目を見張るような素晴らしい光景に出会えて本当に良かった。

日が落ちると街の灯がともりだし、昼間とは別世界のベルンが出現する。連邦議事堂前のブンデス広場には面白い噴水(写真49)がある。スイスの州の数と同じ26の噴水が突然吹き上げリズム的に変化する。11:00〜23:00まで、30分ごとに噴き上がり市民の憩いの場になっている。そして、ライトアップされた連邦議事堂前(写真50)が美しく輝く。

 
     
D ベルン市内の噴水めぐり
  10月下旬になるとヨーロッパ(スイス)の夜明けは遅い。朝7時頃、朝食レストラン(写真51)に行くが外は暗い。朝食はアメリカン・ビュッフェでカウンターから適当にピックアップして私の朝食メニュー(写真52)を作る。油の少ないカリカリとした焼きたてのクロワッサンをかじり熱々のコーヒーを飲む。絶妙のハーモニー。カマンベールチーズとハムをフレンチ風ロールパンに挟んで食べる。これもうまい。至福の朝食タイムが流れる。

ベルン歩きの楽しみの1つに噴水めぐりがある。ベルンに100ヵ所もあるといわれる噴水の中でも、旧市街のメインストリート周辺にある噴水は有名で、それぞれ名前もついている。今日は噴水めぐりを中心に旧市街をくまなく歩く。

ベルン旧市街観光のスタートはベルン駅前のシュピタール通りからはじまる。通りのほぼ真中あたりに「バグパイプ吹きの噴水」(写真53)がある。実際に綺麗な水があふれ出しているので少しだけ飲んでみたがうまい。ベルンにある噴水は「水のみ場」であり14世紀頃から人々や馬のノドをうるわしてきたという。アルプスの雪解け水が集まるベルンは水が溢れている。

シュピタール通りは1ブロックだけで終了し、牢獄塔の門から先は「マルクト通り」(写真54)になる。いつも人通りが絶えないマルクト通りはベルン旧市街でも一番華やかな場所である。牢獄塔の門を入った所に「アンナザイラーの噴水」(写真55)がある。綺麗な女性の像であるが、表情がないのが気になる。マルクト通りに面した建物は外壁に様々な趣向(写真56)が凝らしてあり、見て歩くだけでも楽しくなる。

ベルン旧市街の規模は実に小さく、南北約400〜500m、東西約1400〜1500mの長方形(半島)に収まってしまう。その長方形の真中に東西を横切るメインストリートがあり、1本の大通りであるが4つの名前がついている。ベルン駅に近い方から「シュピタール通り」「マルクト通り」「クラム通り」「ゲレヒティクカイト通り」となる。同じ1本の通りでありながら、この名前の違い(エリア分け)はベルンの街の発展過程と深いかかわりがある。最も古い地域が東端(半島の先っぽ)にあり、街の規模が拡大するにしたがって塔(門)が西へ移動していったのである。

マルクト通りにある「射手の噴水」(写真57)は1670年の製作。射手の噴水を過ぎると、賑やかな「時計塔」(写真58)になり、ここから西は「クラム通り」となる。時計塔は1218年の建築で、当時はここが街の西の端(西門)だったという。仕掛け時計(写真59)は1530年の作で今でも毎時56分から動き出す。時計塔から西が13世紀から栄えてきた本当の旧市街となる。

クラム通り(写真60)はマルクト通りに比べるとぐっと落ち着きがある。そんな静かなクラム通りに綺麗なレストラン(写真61)を見つけた。時間があればここでコーヒータイムをとるのであるが‥‥。我々はベルンに2泊しかしないので先を急ぐ。通りにある「ツェーリンガーの噴水」(写真62)は奇妙な格好をしている。よく見ると中は人間ではなく、クマが鎧兜(ヨロイカブト)を着けて兵士になっている。

実はクマはベルンでは特別な意味を持つ。ベルンの街を造ったツェーリンゲン公が、街の名前を付ける時、「狩りをして最初に捕まえた動物の名前を街につけよう」と提案。そして、最初にクマ(baren)が殺され、街はベルンと命名されたのである。「シムソンの噴水」(写真63)も面白い。黄金の動物の首をひねって口を大きく開けさせている。それぞれの噴水の像には色々な意味があるのであろう‥‥。

メインストリート最後の通り、ゲレヒティクカイト通りに「正義の女神の噴水」(写真64)がある。目隠しをした女性(女神:写真65)が天秤を持っている。恐らく、この女神によって人々の天国・地獄行きが決定されるのであろう。1534年製作。正義の女神の噴水を過ぎると旧市街が終わってアーレ川にぶつかる。ここが細長い半島の突端で、現在は「ニーデック橋」によって対岸に渡れる。この付近の景色(写真66)も素晴らしい。ここからUターンして大聖堂に戻り、大聖堂前の広場にある「モーゼの噴水」(写真67)を見る。

噴水の極めつけはコルンハウス広場に立つ「子喰い鬼の噴水」(写真68)であろう。非常に目立つ場所にあり、グロテスクな像が乗っているので誰もが立ち止まって見上げる。何と、恐い鬼が子供を頭から喰っている。喰われた子供のおしりと足がリアル‥‥。次に喰われる子供達の顔がひきつっている。1544年製作。
「こら〜お前達、悪いことをすると、あの鬼にくわれてしまうぞ!」

 
     
E ベルンと天才「アインシュタイン」
  20世紀最大の天才「アインシュタイン」とベルンの関係は深い。彼はベルンに住んでいたわずか3年の間に「特殊相対性理論」を含む理論物理学における革命的な論文の数々を発表する。そのアインシュタインの奇跡の家を訪問する。

ベルン旧市街のクラム通りの中ほどにアインシュタインが住んでいた家(写真69)がある。標識が小さいので気を付けていないと通り過ぎてしまう。2階に上がり入場料(6スイスフラン、540円)を払って室内に入る。1879年ドイツ生まれのアインシュタインはヨーロッパ屈指の工科大学であるスイスのチューリッヒ連邦工科大学を卒業。就職難の苦しみを乗り越えて、1902年6月からベルンにある特許局に勤めはじめた。

アインシュタインは、大学時代、コーヒーをすすりながら、何時間もクラスメートと語り合った。その中に、同じコース(物理学教職課程)を選んでいる女子学生がいた。ハンガリー出身のミレーバ・マリッチである。2人は1903年1月結婚しベルンのアインシュタイン・ハウス(写真70)で暮らしはじめる。

幸せなアインシュタイン夫妻!彼は立ちながら思索し、ノート(写真71)にメモした。そして、1905年、アインシュタイン26才の時、彼は「光」の粒子としての性質から得られた「光量子仮説」、原子の存在を探求して得られた「ブラウン運動の理論」そして「特殊相対性理論」を完成させた。この年はアインシュタインにとって「奇跡の年(miracle year)」と呼ばれている。私も立ちながら思索する‥‥。今夜の夕食は何にする〜?

アインシュタインはヴァイオリンを愛し、平和主義者で、ベジタリアンであった。今の私も下手なヴァイオリンを練習し、平和を望み、ベジタリアンもどきの食生活を送っている。(強引な関連付け、ほとんど意味なし!)

アインシュタイン・ハウスを見学した後、ベルン大学を訪れる。ベルン駅ホーム北側のエレベーターで地上に出れば、そこがベルン大学の入り口になっている。ベルン大学(写真72)とその前の芝生が素晴らしい。ベルン大学の一角に「アインシュタイン・テラス」(写真73)という場所があり、このテラスからベルンの旧市街が一望できる。大学に入るとすぐに大きなカフェ・レストランがあるのでランチ・ティータイムを兼ねてベルン大学を訪れてみては?

ベルンの街はアーレ川のあたりに来ると、どこでも素晴らしい眺めに出会える。ニーデック橋の真中に立ち北方(写真74)を見ると、ウンタートーア橋から先にアーレ川が左折している。ここが半島(ベルン旧市街)の東端であることが分かる。ニーデック橋を渡り傾斜道を上がってバラ園に行く。周囲の黄葉が実に見事で、アーレ川の外側はまるで森林公園である。晩秋のスイス・ベルン、木々は紅葉し青い空に映える。高台のバラ園から旧市街(写真75)を遠望する。しかし、残念ながら逆光で写りが悪い。

場所を変えて「キルヒェンフェルト橋」に行く。私はこの橋からの眺めが非常に気に入った。橋の左側に連邦議事堂とホテルベルビューパレス(写真76)が堂々と建ち並んでいる。ベルンは街ごと世界遺産に登録された小さな古都であるが、永世中立国スイスの首都である。

ヨーロッパ全域が戦火にまみれた2度の世界大戦にもスイスは中立を保ち、ユーロで統合されたヨーロッパ通貨に対して未だに「スイスフラン」を堅持している。武装中立、通貨統合に組しないスイス人の自主独立精神には敬意を表する。民主党に政権が変わったにもかかわらず、米軍普天間基地問題で右往左往する日本の政治の現状は情けない。スイス連邦議事堂(写真77)が威風堂々と建っている。

ベルン大聖堂(写真78)に行く。見上げると圧倒的に巨大で尖塔は高い。1421年に着工し1893年に完成、実に400年以上の歳月をかけた後期ゴシック様式の大聖堂である。

ベルン大聖堂の正面入り口にある「最後の審判」(写真79)のレリーフは実に緻密に出来ている。ベルン大聖堂の内部(写真80)に入る。ステンドグラスの前にある「パイプオルガン」は1726年製で、5040本のパイプを持つという。スイス一の高さを誇る大聖堂の尖塔まで344段の階段がある。エレベーターはないので入場料(4スイスフラン、360円)を払って汗をかきながらゆっくり登る。

展望台からの眺めは素晴らしい。北方(写真81)にはコルンハウス橋が見える。大聖堂の北側真下方面に聖パウル教会があり、青い尖塔が印象的である。大聖堂から西側(ニーデック橋)方面(写真82)を見る。旧市街はビルが密集しているが、アーレ川を渡れば広大な森である。大聖堂の南方、逆光であるがアーレ川に架かるキルヒェンフェルト橋(写真83)の上に電車が走る。

 
     
F 怒濤のように迫るベルン交響楽団の演奏会
  ホテルベルンの前に大きな「フランス教会」(写真84)がある。昼頃にこの教会の前を通ると教会の中から音楽が聞こえてきた。教会の中に入ってみると、何とパイプオルガン(写真85)の演奏中であった。椅子に腰掛け、しばらくオルガンの音色に耳を傾ける。お客(信者?)は数名、教会なので入場無料である。教会内に特設ステージが作ってあり、ここでオーケストラと合唱団の演奏会も開かれる。さすがにヨーロッパはクラシック音楽に溢れている。

ベルン滞在2目の夜、運良くクラシックのコンサートがあることを知ったので参加することにする。コルンハウス広場(写真86)に面しているレストラン「アンカー」(写真87)に入り早めの夕食にする。この店は「子喰い鬼の噴水」の目の前にあり、宿泊しているホテルベルンのすぐ近くである。立地条件は抜群であるが、店内は至って庶民的、仕事帰りの地元の人達がビールを飲んでいる。1人で来てビールを飲んでいる人もちらほらいる。

スパゲティ・ナポリタン(12フラン、1080円)とベルンの名物料理レシュティ「Winzer-Roshti」(写真88:19.5フラン、1755円)、750mlのボトルの水(9フラン、810円)を注文する。ビールより水のほうが高い?(噴水の水は無料)。レシュティは塩分さえもっと抑えてくれればうまいのであるが、我々には塩からすぎた。合計40.5フラン、3645円。結構高い。

コルンハウス広場から南へ少し歩いて1ブロック東の通りにくると「カジノ広場」(写真89)になる。窓枠に花をいっぱい飾ってある建物は「Swiss Life(スイス生命保険)」。カジノ広場の前、アーレ川に面して5星ホテル「ベルビュー・パレス」(写真90)が建っている。興味があったので、中に入ってみた。ロビー(写真91)は宮殿のような豪華な雰囲気なので、ベルン随一のホテルに違いない。勝手にレストラン(写真92)も見学する。このレストランの外側に、アーレ川を望む展望レストランもある。夏期は抜群のロケーションのレストランとなる。最後に、トイレを借りて外に出る。(高級ホテル見学と無料トイレ利用は私が外国でよくやる方法)

今夜の演奏会はキルヒェンフェルト橋の手前にある「カジノ・コンサートホール」(写真93)で開かれる。カジノ・コンサートホール内にあるレストラン(写真94)は優雅な雰囲気が漂う。演奏会前後、ここでディナーにしてもいい。10/30(金)19時の開場と共にカジノに入る。今夜の演奏はベルン交響楽団、指揮は「ピエタリ・インキネン」、もちろん私は知らない指揮者でベルン交響楽団もはじめて聞く。

早めにコンサートホール内に入り自分の席を確かめる。宮殿風の見事なホール(写真95)に感激する。オーケストラボックスが非常に広くとってあり2階席の前方に座れば指揮者や楽団員がよく見える。曲目は
@ラベル「ラ・ヴァルス」
Aシュニトケ「チェロ協奏曲第1番」
Bストラビンスキー「春の祭典」
チェロ協奏曲のチェリストは「ナタリア・グートマン」。チェロの高音がまるでヴァイオリンのような響きを持って聞こえてくる。難解な曲であるが圧倒的な迫力のある演奏と情熱的な指揮に驚く。

チケットは18〜80フラン(1620〜7200円)で我々は2階席後方の一番安い席を購入した。演奏会がはじまってみると2階席は空席が多かった。そこで、コンサート後半は2階席中央最前列の空席に移動、最高の席でコンサートを楽しむ。

メイン曲はストラビンスキーの「春の祭典」。怒涛のように迫るオーケストラ、金髪を振り乱して熱演するハンサムな若き指揮者、その姿を見て、日頃、演奏会には無縁な妻が大感激をしている。この演奏会で2人の若い日本人男性に会った。2人とも音楽大学に留学中で、1人はベルンで「声楽」を、もう1人はパリで「フルート」を専攻しているという。頑張れ、若き青年達!

演奏会終了後、夜のスイス連邦議事堂前(写真96)を通ってホテルに帰る。明日は旅の起点フランクフルトに帰る。
(ヨーロッパ4都市周遊・完)

 
     
G 一般情報
  《ミラノ観光》

◎イタリア政府観光局
http://www.enit.jp/city/milano.html

◎ミラノスカラ座
http://www.teatroallascala.org/en/splash.html

《ベルン観光》

◎Bern Tourismus
http://www.berninfo.com/en/index.cfm

                                        (2010年5月 掲載)